大橋裸木

大橋裸木(おおはし らぼく)

本名・大橋猛(通称は鎮)
1890年(明治23年)8月9日 – 1933年(昭和8年)8月8日

荻原井泉水から「裸木は俳句の鬼だ」と言われるほど俳句に情熱を燃やした俳人である。
自由律俳人としても高い評価がある。
また、「陽へ病む」という最も短い俳句、あるいは詩を詠んだ俳人でもある。

代表句

・陽へ病む
・ちんぽこに西瓜の雫たらして子の機嫌よし
・涼む子のおそそが見えたりして涼しきかぎり

略歴

大阪市西区で代々、鉄工所を営む猿田力蔵の次男として生まれるが、離婚に伴い母方の姓である大橋を名乗る。
しかし、8歳で母親と死別したため父親の家に戻って生活する。
市岡中学に入学したころから俳句を作り始め、中学を出た後は父の手伝いをする。
父が亡くなった後、、東京・四国・大阪などを転々とし、東京で少年雑誌の編集をする。
桂原かめと結婚する。
定型俳句を作っていたが、その後、層雲に加わり、自由律俳人として活躍する。
病気を患い、妻の里である奈良県宇陀郡曽爾村に行き療養する。
三重県名賀郡阿保町、津市乙部町、京都市下京区唐橋花園町へと転々とする。
京都市下京区朱雀内畑町へ移る。
鳥取の大山登山からの帰りに荻原井泉水が見舞うがその翌日、43歳で亡くなる。
参考文献

『人間を彫る』(大正十四年刊)
『生活を彩る』(昭和三年刊)
『四十前後』(昭和六年刊)
『海国山国』(昭和八年刊)